「今日は無礼講で!」
上司にそう飲みに誘われたことはありませんか?
この『無礼講』。
誤解しているかたが多いのですが、上下関係を超えて「無礼なふるまいが許される」という意味ではないのです。
『無礼講』の由来
神事
日本古来の宴会といえば、神事のことでした。
日常から離れた存在である神様に触れ合うことで、お祓い、お祭り、お祝いなどを行ってきました。
神事にあたっては、かならず神様にお神酒や料理をお供えします。
農作物や魚など豊作のお礼の意味あいもあったことでしょう。
神様に感謝を捧げ、喜んでもらえるようにふるまいをするのです。
まずは神様に召し上がっていただいて、それぞれのお祝いや願い事をします。
神事のあとには、献上したお神酒や料理を参加者でいただきます。
これは神人供食とよばれ、喜びをともに分かち合う行為でもありました。
直会(なおらい)
神様と同じお酒や料理を人が口にする。
これを『直会(なおらい)』といいます。
語源は「直り合い」とされています。
いままで、神様に祈るという非日常から、平常の状態に直るという意味合いです。
この直会をすることで、神様のご加護があると信じられてきました。
直会は、神事を締めくくる重要な儀式でした。
厳かに、上座から順番にお神酒や料理が回されます。
この場を『礼講(れいこう)』といいます。
やっと無礼講の由来が見えてきました。
無礼講とは「無・礼講」
やがて、すべての儀式が終わり参加者一同ほっと一息つきます。
堅苦しい神事が無事に終わって、これで一安心。
それでは、肩のちからを抜いてゆっくり飲み直しましょう。
もう礼講ではないから、気楽にいきましょう。
そんな席がいつしか『無礼講』と呼ばれ始めました。
無礼講の意味は、礼講では無いということです。
上座も下座もなくお酒や料理をかこみ、神様に楽しんでいるところを見てもらう意味もあったのかもしれません。
なので、無礼講とは正式な言葉が語源ではなく「ちょっとリラックスしよう」くらいの意味なのです。
無・礼講なので、決して無礼をしても許される講(集まり)ということではありません。
まとめ
言葉は時代とともに変わっていくもの。
上司やまわりのひとたちが、「無礼講」をコミュニケーションのひとつとして使っているのなら、同調して多少羽目をはずして素の自分をみせてもいいのではないでしょうか。
ただし、無礼なことはどんな場面でもしないほうがいいですよね。