義理とは、本来の意味は『物事の正しい道筋』。
対人関係や社会関係において、守るべき道理のことです。
日本人が古来から大切にしてきた感性です。
現在では、義理というと少し否定的に捉えられてしまいがちですね。
義理で何かをする、というのは現在の人には”負担に感じてしまう”という意味合いに変わっているようです。
「本来はやりたくないけれど、みんながやっているからしかたなく」
最近では、義理チョコに代表される表現です。
バレンタインデーが近づくと、世の女性達は少し憂鬱になります。
わたしも女子のはしくれなので、今年のチョコレート関係はどうしたものかと日に日に気になりだします。
今年は少し、ホッとするニュースがありました。
有名な高級チョコレートブランドのゴディバが、2018年2月1日に日本経済新聞の一面広告で、『日本は義理チョコをやめよう』キャンペーンを打ち出したのです。
チョコレートメーカーなので、義理チョコが多く売れたほうがいいと思いますが、その逆を提案してきたのです。
新聞広告には次のように書かれています。
「バレンタインデーは嫌いだ、という女性がいます。その日が休日だと、内心ホッとするという女性がいます。なぜなら、義理チョコを誰にあげるかを考えたり、準備をしたりするのがあまりにもタイヘンだから、というのです。気を使う、お金も使う、でも自分からはやめづらい、それが毎年もどかしい、というのです。」
「それはこの国の女性たちをずっと見てきた私たちゴディバも、肌で感じてきたこと。もちろん本命はあっていいけど、義理チョコはなくてもいい。いや、この時代、ないほうがいい。そう思うに至ったのです。」
ほとんどの女性達は共感したのではないでしょうか。
男性たちの反応も、
「正直、義理チョコいらない」
「義理チョコなんか貰っても苦痛」
「義理チョコ、無理して渡さんでもええやろ」
「義理チョコを貰ったことがない」
「神広告」
「もらう方も気を遣うしな」
「義理チョコいらないから早く本命くれ」
など、好意的な意見が見受けられます。
義理で女性から男性にチョコレートをあげる『義理チョコ』
バレンタインデーにチョコレートをあげるのは日本だけといいます。
さらに日本特有の感性『義理』がついた、こんな習慣はだんだんとなくなっていくのかもしれません。
さて、そもそも義理とはなんでしょう?
日本は、農村社会でした。
そのなかで円滑に生きていくための知恵として、ルールとして取り決めをしたのでしょう。
農作業や地域全体で行われるお祭りなどの年中行事、冠婚葬祭、季節のつきあい。
そのたびに、お互いに協力をして運命共同体として暮らしていく。
科学技術や交通、医療が発達していない時代、人々は力を合わせて生きていく必要がありました。
協力していくには、決まり事が必要です。
自分だけの利益ではなく、人のために尽くせる心。
人のために何かをすることは、自分自信に巡ってくること。
そんな、考え方が『義理』という概念になっていきました。
義理とは義務ではありません
なので、義理というのは「やらなくてはいけない、やっかいなこと」ではなくて「すすんで人のためにしよう」というおもてなしにも通じる、日本人のこまやかな心情のあらわれでした。
義務ではなくて、心のありようのことなのです。
もとになったのは、中国から渡ってきた儒教の教えです。
孔子は、人の世の五徳として
仁・義・礼・智・信
が大事だと説きました。
生きていくにあたり大切にしなければならない考えです。
そのうちの『義』とは、利害を超えた正しいこと、公共のために尽くす気持ち、のこと。
いっぽう『理』とは道筋、もっともなこと、整えること。
つまり義理とは、法律やルールではなくて、心を行動にあらわした、その人の生き方そのものだったのです。
おおげさに言えば、人々の人生観、死生観がすべてつまっていました。
義理を欠くということは、恩義を返さないということなので、当然自分にも恩義を返してもらえない状況を自らつくるということです。
その地域で暮らしていけないことと同義です。
恩。信用。協力。誰かのために。
そんな心の清らかさが、義理という言葉には透けて見えます。
まとめ
義理チョコが無くなる方向なら、わたしは賛成です。
ですが、義理という言葉が軽んじられるような気もしています。
日本人の細やかな心情は世界に誇れるものです。
効率化が優先されることと、日本の心を保つことは矛盾しないでしょう。
義理という概念も、人と人の信用に深く関わっています。
もちろん、金運とも切り離せないといっていいと思います。