『悲しみ』という感情は必要ですか?マインドフルネスからみた感情論

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ネガティブの感情のなかでも、『悲しみ』は少し特別なものです。

同じネガティブの感情の『怒り』は人が生きていく上では必要だと理解できます。

自分のとって不都合なこと、危険にさらされること、に対しては拒絶しなければならないからです。

あるいは、自分の誇りや存在意義を主張するツールとしての働きもあります。

『怒り』は時として自分を守ってくれる盾のようなものです。

いっぽう『悲しみ』はただ単にツライ状況をつくりだします。

ツライ状況はストレスとなって体を蝕んでいきます。

『悲しみ』という感情は人間にとって必要なのでしょうか?

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プラスの感情とマイナスの感情

プラスの感情は生きていく上で最も重要といってもいいでしょう。

希望

やりがい

喜び

ワクワク

充実感

達成感

プラスの感情は、生きる指針になります。

どれも、自分自身を成長させてくれる栄養分のような存在です。

プラスの感情が多ければ多いほど充実した人生になるといえます。

それではマイナスの感情はどうでしょう。

映画『インサイドヘッド』では「なぜカナシミは必要なの?」がメインのテーマになっています。

ライリーという少女の頭のなかで感情たちが活躍するストーリーです。

感情たち(喜び、怒り、嫌悪、恐れ、悲しみ)はライリーが何か経験するたびに動き回り、想い出のボールを作り出します。特に大切なボールには色をつけてキレイに整理整頓していきます。

しかし、ひとたび悲しみに襲われると、きれいな色だったボールはすべて悲しみの象徴のブルーに変えられてしまいます。

すると、やる気がなくなり、口数が減り、食欲がなくなっていきます。

頭のなかでは、きれいなボール(すてきな想い出)たちはゴミ捨て場に捨てられる寸前です。

悲しいとき、いくら楽しかったことを思い出そうとしても、できないときがあります。

楽しかったことを思い出せたとしても、色あせたものに思えてきます。

ネガティブの感情もまた人を成長させる

『悲しみ』は人間の免疫機能

悲しみは、人が成長する過程で必要な役割をします。

次につらい状況が起こったときに、冷静に対処する心構えができるようになるのです。

悲しみをいっさい経験しないまま、大人になったとします。

どんな人にも理不尽な出来事は、突然に起こります。

そのときに、悲しみを経験していないと些細なできごとも大きなストレスとなってしまいます。

ストレスをかうまくかわすことができずに、どんどんたまっていくことでしょう。

無菌室で育った植物が、外界のほんの少しの菌で弱ってしまうことに似ています。

快適な環境に慣れてしまうと、心は逆に弱くなっていきます。

悲しみを経験することで、ストレスの耐性がつくられます。

『悲しみ』は、免疫機能として働くことで、自分自身をいたわっているのです。

共存共栄を生み出した『悲しみ』

もうひとつ、大きな役割があります。

人類は、周囲の人たちをお互いに守ることで繁栄してきました。

弱肉強食のジャングルで1人にされたら、たちまち肉食動物の餌食になってしまいます。

5人10人と集まってそれぞれ役割分担をすれば、敵に襲われずに食料を調達できます。

周囲の人たちを守る、とりわけ自分より弱い人を守ることで人類は発展してきました。

弱肉強食よりも共存共栄を選んだのです。

自分さえ良ければではなく、みんなが良ければ自分にも良い、を実践してきました。

『1人ではできないことも、協力し合えばどんなこともできる』と、経験をしながら現在の社会を生み出してきました。

自分一人では、家も車も道路もつくることはできません。

みんなが少しずつ、自分のできる範囲のことを提供してこの社会を作り出しました。

自分以外の誰かの悲しみやつらい状況を解消しようとして。

悲しみにくれている人、つらい状況の人、不幸に見舞わた人、これは弱い立場の人といえます。

こんな弱い立場の人を理解できるのは、自分自身も悲しみを経験した人です。

悲しみもこの人類の発展に大きく関係してきていたのです。

悲しみは我慢をするものではありません

あなたは悲しみに襲われたとき、どうしていますか?

どんな明るい人にも、ポジティブな人にも『悲しみ』は不意に訪れます。

『悲しみ』は自然現象です。

ツライことが起きて涙をながすのは、みっともないことではありません。

感情を吐き出すために心が必死に対応しているのです。

人は誰でもポジティブな考えがどうしてもできないときがあります。

そんなときは、無理に前向きにしようとせず、ただただ悲しみに暮れる日があってもいいと思います。

前向きに考えられない自分を認めて、許してあげることも必要なことです。

そのほうが、結果的に早く立ち直れるきっかけにもなります。

自分が悲しみに打ちひしがれているときは、まわりの人に頼っていいんです。

というか、頼るべきです。

まわりに悲しんでいる人がいたなら、そっと寄り添うだけでもいいです。

人の痛みを分かち合えること、それが、人間をここまで成長させてきたのです。

子供は自分の感情が上手くコントロールできなくて、よく泣きます。

そんなとき、母親はよく「いつまで泣いているの!元気を出して!」と叱ります。

これは、『悲しむことはいけないことだ』と言っているのと同じです。

反対に、「悲しいんだね。泣くのは自然なことだから悲しんでいいんだよ」と寄り添ってくれたらどうでしょう。

どちらも、子供を思う母の気持ちは同じですが、心の成長という意味では大きな差があると思いませんか。

心では叫び声をあげているのに、それを無理に閉じ込めようとすると、やがてどこかに無理がきます。

悲しみを感じている間は、ツライですが、心の中を整理している最中だともいえます。

無理に感情を閉じ込めてしまうと、心の整理がいつまでたってもできない状態になりかねません。

ネガティブな感情は、閉じ込めるより吐き出してしまうことが必要なのでしょう。

その表現のひとつとして、涙があるのだと思います。

涙を流している人をほっておけないのは、人間だからこそです。

まとめ

悲しみがなくて、喜びだけの人生だったらどんなにいいことでしょう。

と、思っていました。

よく考えると、喜びしかない人生は、結局平坦なつまらない人生となってしまうのかもしれません。

悲しみがあるから喜びは倍になる。

悲しみがあるから、人の痛みに気がつくことができる。

人の痛みを癒やすことができれば、自分も救われる。

人類はこうして成長して”人間”になってきたんですね。

人の心の痛みがわからない人は、ただの動物です。

『悲しみ』は人間が人間でいるための必要な条件なのでしょう。

強いものには立ち向かって、弱いものを守る。

こんな人は魅力的です。

その逆の人、弱い立場の人には強くて、強い立場の人には媚びへつらう人。

想像するだけで、嫌です。